● 兄弟を試すヨセフ

 ヨセフは家づかさに言いました。

「彼らの袋に沢山の食料を入れ彼らが支払った銀も入れておきなさい。それから、一番年下の者の袋には同じように銀と、わたしの銀の杯を入れておきなさい」

何も知らないお兄さん達はヨセフのいる町を出て帰っていきました。

まだそんなに遠くへ行ってない頃合いを見て、ヨセフは家づかさにお兄さん達を追いかけてくるように言いました。

お兄さん達に追いついた家づかさは彼らを責め立てます。

「あなた方はご主人様にあれだけ良くしてもらいながら、銀の杯を盗んだのですか?」

身に覚えのない罪を非難されたお兄さん達は反論します。

「何故そのような事を言うのでしょうか、以前あなた方から買った食料の袋に身に覚えの無い銀が入っていた時も返しに来たでしょう、どうか調べて見て下さい、もし見つかったらその者の命はありません。そしてわたしたちが奴隷となります」

「いいでしょう、ただし銀の杯が見つかったものだけが奴隷になりなさい、他の者は無罪です」

お兄さん達は以前も銀が袋の中に入っていた事を思い出し、その時の恐怖を感じながら必死で罪の潔白を主張するために、犯人の命は取っても良いと言いましたが、家づかさはそこまでする必要は無いと、犯人だけ奴隷にすると言いました。

家づかさはルベンの袋から順番に袋の中を調べ、最後にベニヤミンの袋を調べると、中からは銀の杯が出てきました。

何故ヨセフはこのような事をしたのでしょうか、同じお母さんから生まれたベニヤミンを特別に思い、一緒に住みたかったからでしょうか? そうではありませんでした。

ヨセフは彼らを自分の家でもてなす時、ベニヤミンだけ食事を特別扱いし、そして銀の杯を盗んだ罪を着せて奴隷にするように仕向けました。

これは全て、お兄さん達を試すためで、ヨセフと同じようにベニヤミンを特別扱いする事で妬んで嫉妬し、窮地に陥ると彼を見捨てるかどうか試していました。

あの時と同じお兄さん達ならベニヤミンを見捨てて故郷へ帰るだろう。もし悔い改めていたならベニヤミンをかばうだろう。

彼らはどうしたでしょうか、ベニヤミンを見捨てる事はせず一緒にヨセフのいる町へ引き返してきました。

● ユダのとりなし

 ヨセフの家へ戻ると、ヨセフがそこで待っていました。ここで創世記44章を読んでみます。15節から17節までです。

ヨセフは占い師ではありませんがエジプトでは賢さや洞察力が高く、占いなどの「秘術」や「神秘的な力」を使える存在だと思われていました。ヨセフはそれを利用して、銀の杯が盗まれた事を見抜いているように「どうせお見通しなのだから、潔白を主張しても無駄だ」と思わせました。

一方、ユダは銀の杯は濡れ衣であったにも関わらず「神がしもべらの罪をあばかれました」と、銀の杯を盗んだ事を認めているように見えますが、そうではありませんでした。

ユダを含むお兄さん達は、ヨセフを売った事による長年抱えてきた罪の意識に苦しんでいました。今回の事は神様が自分達を裁いておられると感じていました。そして自分達全員が奴隷になることでベニヤミン1人に押し付ける事を避けようとしていました。ヨセフを見捨てた過去と異なり、ベニヤミンを守る行動をしており、お兄さん達は明らかに変わっていました。

しかし、ヨセフはお兄さん達にベニヤミンだけ奴隷になりなさい、他の者たちは無罪ですと言います。

ここで、ユダがベニヤミンのために必死にとりなしをはじめました。

「どうか、私に一言お話しさせてください。どうかお聞きください。

私たちは以前、あなたに家にもう一人の弟がいるとお話ししました。あなたはその弟をここに連れて来なければならないと言われました。

そうすれば私たちが正直者だとわかるからだ、と。

私たちは父にその話を伝えましたが、父はとても悲しみました。

父は、あの弟がどれほど大切な存在であるかを話しました。弟の母はすでに亡くなっており、その母が残してくれた唯一の子供だと。

さらに、もう一人の兄もすでに失っているので、この弟までも失ったら父の命は耐えられない、と。

しかし、飢饉が続き、私たちが再びエジプトに来なければならなくなったとき、あなたの言葉を伝えざるを得ませんでした。

父は弟を連れて行かせたくないと強く反対しましたが、最終的に私たちを信じて送り出してくれました。

あなたが今、『この弟をここに残せ』と言われたら、私たちは帰ることができません。父にこの弟がいないことを伝えたら、父の悲しみは計り知れません。父の命と弟の命はつながっているようなものです。

どうかこの弟の代わりに私をあなたの奴隷にしてください。そして、弟を家に帰らせてください。

父のそばにこの弟がいなければ、父は悲しみのあまり死んでしまうでしょう。私はそのようなことを父に対してできません。

弟がいなければ、父がどうなるかを考えるだけで耐えられません。」

ユダの必死なとりなしでした、自分の命をかけてベニヤミンの救いを求めました。父がどんなにこの弟を愛しているのか、その弟は必ず連れて帰らなければならない。ただひたすら率直に語り、そして自分に罪がある事を告白しました。

このユダのとりなしは、ヨセフの心を強く打ちました。

● ヨセフと兄弟達の再開

 ヨセフはずっと黙って聞いていましたが、自分の心がとうとう抑えきれなくなってしまいました。

「この兄弟達を残して、みんなこの部屋から出ていってください」と、自分達兄弟以外、誰も部屋の中にいなくさせ、自分の正体を明かしました。

「兄さん!!わたしです、ヨセフです、お父さんはまだ元気ですか?」

お兄さん達は突然の事に驚きました、そして、恐ろしく感じました。自分達が売ってしまったヨセフが奴隷となって過酷な生活の中今まで生きているとは思っておらず、そのヨセフがエジプトの高い地位にあるということ、そして、過去自分達の罪で裁かれてしまうのではという気持ちもおそらくあったのでしょう。

「わたしをよく見て下さい、あなたがたの弟のヨセフです、あなたがたがエジプトに売ったヨセフです。」

「エジプトにわたしを売った事は嘆いたり悔んだりする必要もありません、これは、神様が救いを与えるためにわたしを先にエジプトへつかわされたのです。」

「神様は、あなたがたが滅びる事がないように、このようにされました。ですから、あなたがたの手によってエジプトにいるのではなく、神様の手によってわたしは今ここにいます。」

「さぁ、急いでお父さんをここへ連れてきてください。この飢饉はまだ5年つづきます。わたしがみんなを養います。」

そして、ヨセフはベニヤミンと抱き合って一緒に泣きました。お兄さん達とも抱き合って泣きました。

ヨセフは自分が売られた事は責め立てる事もせず、全ては神様のご計画であり、みんなを救うために配慮してくださったのだと、霊的に大きく成長していました。

ヨセフの兄弟達がやってきたということは広まり、王様パロの耳にも入ってきました。

パロはその事をとても喜びました。

「わたしはあなたがたに、エジプトの地の良いものを与えましょう。エジプトの車を持っていき、あなたの父を連れてきなさい。残した財産に心を奪われてはいけません。エジプト全国の良いものは、あなたがたのものだからです」

● ヤコブの喜び

 ヤコブの兄弟達はヤコブを迎えにカナンへ戻っていきました。

「おとうさん、ヨセフが生きていました!彼はエジプトの権力者になっていました!」

ヤコブは帰ってきた兄弟達の話を聞いて眩暈がしました。獣に襲われていなくなっていたと思っていたヨセフが生きているどころかエジプトの偉い人になっていたなんて、とても信じられなかったからです。

「おとうさん、本当です、これを見てください」

兄弟達はヨセフの言った事をヤコブに話し、そしてその証拠にエジプトから送られてきた車や数々の贈り物を見せました。

「なんということだ、ヨセフは生きていた!わたしは死ぬ前にヨセフの顔を見てやるぞ!」

今まで死んだと思っていた愛する息子が生きていると知ってヤコブは元気が出てきました。

ヤコブは旅に出る時にベエルシバで神様に礼拝を捧げました。

ベエルシバはヤコブのお爺さんであるアブラハム、お父さんであるイサクとも関わりのあるとても大切な場所でした。創世記21章31-33、創世記26章23-25

そこで神様はヤコブに現れて言いました。

「ヤコブよ、わたしはあなたの父、イサクの神です。安心してエジプトへ行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にします。わたしはあなたと一緒にエジプトへ行き、かならずあなたを導くでしょう」

エジプトへ移住したヤコブの一族は合わせて70人いました。

こうしてヤコブは一族達と一緒にエジプトへ向かい、ゴセンと呼ばれる場所でヨセフと再会し、互いに抱き合って一緒に泣きました。

● 悔い改めと赦し

 ヨセフがエジプトへ売られ奴隷にされた事は神様のご計画でしたが、しかしそれはヨセフのお兄さん達による罪でした。この出来事でヨセフの心は傷付き、長年悩ませた事でしょう。一方、お兄さん達もヨセフを奴隷として売ってしまい、ヤコブにはそれを隠し続けた事も長年心を苦しめてきました。

ヨセフは最終的にお兄さん達を許し和解しましたが、それはお兄さん達の悔い改めがあったからです。

聖書は赦しと悔い改めを密接に結び付けています。悔い改めは、自分の罪を認め、神様に対して心から悔やみ、そして新しい生き方へと転換することを意味します。神様は、心から悔い改める者に対して、惜しみなく赦しを与えてくださいます。

ヨセフが兄弟たちを試した行為は、彼らが本当に心から悔い改めているかどうかを確かめるためのものでした。ヨセフは、神様の義を反映する人物として描かれていますが、同時に人間的な側面も持っていました。過去の傷は容易に癒やされるものではなく、ヨセフもまた、兄弟たちへの不信感抱いていました。

一方で、ヨセフは、兄弟たちが本当に心を改めているかどうかを確認したいという思いも抱いていました。これは、赦しをより確かなものにするために必要なことでした。

赦すことは、簡単なことではありません。特に、深く傷つけられた経験がある場合、相手を許すことは非常に困難です。

自分自身の力だけではどちらも不可能です、神様の助けがあってはじめて成し遂げる事ができます。