主は過ぎ越しの食事の場所を前もって用意しておられました。弟子達とぜひにも一緒にこの時間をもちたかったのだと言われました。
主は、わたしがここにいたことを忘れないようにと、聖餐式を制定されました。わたしを深く心に留めるために、そうしてほしい。と願われました。
パンを取り、これを裂き「これはあなたがたのために与えられる、わったしのからだです。このお言葉は、二千年の時を経て、今私達の耳に聞こえます。
「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」
ルカ22章15節
イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。」
この聖句は、ルカのみが記述する聖句とありました。
主が十字架にかかられる前夜、木曜日の夜。「最後の晩餐」はほかならぬ過ぎ越しの食事でした。
この時を切に主は待ち望んでおられました。この過ぎ越しの食事はやがて「主の晩餐」と呼ばれ、聖餐式となり、今日に至っています。
ですから、この主の御思いを心に深く留めたいものです。
この日の新しい契約は私達の全ての救いが保証されています。
キリスト教の根幹がここにあり、福音の実体は主の「裂かれたパン」と「流された血」にあるのです。
この時のためにこそ、主はこの地上に下りてくださいました。