● ラバンの変化
ヤコブは、神様の祝福によって財産、ここでは家畜のヤギと羊ですね、たくさん得ることができました。
しかし、その様子をずっと見ていたラバンの家族達はそれが面白くありませんでした。
「何故、ヤコブがあんなに沢山の家畜をもってるんだ」
「きっとお父さんから奪って自分のものにしたんだ」
「もともとは私たちのお父さんのものだったんだ」
ラバンの子供達は口々にヤコブの事を悪く言いました。
当然、その悪口はヤコブの耳にも聞こえてきます。
ラバンの子供達からだけでなく、ラバンの様子も変でした。以前はとても優しい態度だったラバンがなんだか疎ましいものを見るような目でヤコブを見ていました。
ラバンにとって、ヤコブは故郷に帰りたかったのを引き留める程に貴重な働き手でした。なにしろ自分の家畜が沢山増え、それがヤコブの信じる神様の祝福によってであると認めるほどでした。
ところが、ラバンの家畜から模様のあるものをヤコブに報酬として渡すと約束してからは、それを一度は阻止したものの、何故かどんどん模様のある家畜が生まれ、ヤコブの財産が増えていきました。
もちろん、ラバンの家畜も増えていったと思いますが、ヤコブの持つ家畜の方が多くなり、財産を奪われたと感じ、ヤコブを脅威に思うようになってしまいました。
● 神様からの啓示
そしてある日、神様はヤコブに言いました。「あなたの先祖の国へ帰り、親族のもとへ行きなさい。わたしはあなたと共にいます」
そこで、ヤコブはレアとラケルを呼んで、故郷に帰る話をしました。
「君たちのお父さん、最近わたしを見る目がすごく冷たくなったんだけど、前はあんなに優しかったのに、どうかしてるよね? 君たちも知ってるだろう?わたし、ここまで本当に頑張ってきたよね。それなのに、10回も約束されたご褒美をくれなかったんだよ。
でもね、神様は君たちのお父さんがわたしにズルや不正をするのを許さなかったんだ。
もし君たちのお父さんが「ブチのものはあなたの報酬だ」と言えば群れはブチを産んだでしょう。 「しまのあるものはあなたの報酬だ」と言えば、群れはしまのあるものを産みました。 こうして、神様は君たちのお父さんの家畜からわたしに与えてくれました。
そして、神様の使いが夢の中でこう言われたんだ。
ラバンがやったこと、全部見ていたよ。わたしはベテルの神です。あなたがあそこで柱に油を注いで、誓いを立てたことも覚えています。さあ、立って、あなたの生まれた国に帰りなさい。」
レアとラケルはヤコブの話を聞いて、こう言いました
「わかりましたわ。もう実家にはわたしたちの財産や居場所はないし、完全に他人扱いだし、ここにいてもしょうがないわ。 神様がお父さんから取り返してくれたものは、わたしたちのものです、あなたの神様のいう通りにしてください。」
レアとラケルはヤコブに賛成してくれました。
ここでは、ヤコブは過ちを犯してしまいました。
レアとラケルに「神様がわたしの故郷へ帰りなさい」と仰られたと説明するだけでよかったのだと思います。
ですが、まず最初に自分がどれだけ頑張ったのか、そして、ラバンに対する不満や愚痴が最初に出てきて、神様に伝えられた事は一番最後になっています。神様の事よりもまず、自分自身達の自己中心的な気持ちが表れていました。
そして、レアとラケルも、実家には相続する財産はもう無いし、ラバンのもとから離れても良いと考えていました。
さらに、ラケルはラバンの大切にしていた偶像テラビムを盗み出してしまいました。
ヘブライ語でテラビムは、家庭で信仰されていた偶像や家庭の神を指します。
聖書にはラケルがテラビムを盗み出した直接的な理由は書かれていませんが、ラケルにとってテラビムは子供の頃から慣れ親しんでいたのでしょう、その偶像をも大事に思っていたのかもしれません。また、ラバンが何度も不正をしてヤコブへの報酬をごまかした事に対する不満からの気持ちもあったのかもしれませんね。
どちらにしても、神様に対して罪をおかしてしまいました。
● ラバンの追跡と和解
この事は、ラバンを怒らせる事になってしまいます、そして、すぐにヤコブ達を追いかけました。
ラバンはヤコブ達を追いかけ7日後にギレアデの山地で天幕を張って休んでいるところに追いつこうとしていました。
追いつく手前で天幕を張り、休んでいると、ラバンに夢の中で神様が語り掛けました。
「ラバン、お前は心して、ヤコブに良し悪しを言ってはいけないよ」
神様は、人間の心や考え方で逃げ出したヤコブのため、ラバンがヤコブに攻撃的な事を一切できないようにするために介入してくださいました。
これでラバンは、ヤコブに対して一切の攻撃的な事や、介入を神様から禁じられ、ヤコブは神様に守られる事になりました。
ラバンは、ヤコブに追いつくと、できるだけ冷静になるよう努めながら言いました。
「あなたは良くない事をしました、何故わたしを騙して逃げ去るように出て行ったのですか? 盛大に歌や音楽であなたを送り出したかったのですよ、わたしの孫や娘たちに口づけをゆるさなかったのは何故ですか? あなたは愚かな事をしました。 わたしはあなたを罰する力をもっているが、あなたのお父さんの神様がわたしに『なにもするな』と言いました。 あなたは故郷が恋しくなったのでしょうが、なぜ、わたしの神を盗んだのですか?」
「たぶん、あなたがラケルとレアをわたしから奪い取ると思ったからです。 あなたの神についてはわたしは知りません、良いでしょう、みんなの天幕を調べてみてください、もし、見つかったらわたしはその者を生かしてはおきません」
「生かしておくべきではない」
強い言葉です。
ヤコブはラケルがラバンの偶像を盗んだ事を知りませんでした。
神様を信じる人々にとって、偶像崇拝自体が禁じられた行為であって、それを盗むことはさらに悪質な行為とみなされていました。 ヤコブは神様に忠実であったため、偶像を盗む行為が自分の家庭内でおこなわれていた事に深い怒りがあったのでしょう。
早速、ラバンはヤコブやレアの天幕に入り、隅々まで調べました。 そして、ついにラケルの天幕に入り調べましたが、見つかりませんでした。
ラケルはラバンの偶像をラクダの鞍の下に隠し、ラケルの体調が悪いからと座り込み、無事、難を逃れました。
ラバンは、盗まれた偶像を見つけることはできませんでした。
今度はヤコブが怒り心頭です、きっと今まで我慢していた色々なものが爆発したのでしょう。
何しろ20年間働き続け、その間に報酬をごまかされ、ラバンの家畜に損害が出ればヤコブがそれを償い、夜も昼も寒さや暑さに悩まされていました。そして、
「もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクのかしこむ者がわたしと共におられなかったなら、あなたはきっとわたしを、から手で去らせたでしょう。神はわたしの悩みと私の労苦とを顧みられて昨夜あなたを戒められたのです。」
と、ラバンに言いました。
ラバンは恐らくシュンとなって、気持ちが落ち込んだ事でしょう、もうこれ以上はヤコブ達に対して干渉することができなくなったと感じました。
「娘や孫、群れも全てわたしのものだ、しかし、わたしにはこれ以上何もできないだろう。 ヤコブよ、わたしと契約を結んで和解しよう。」
こうして、ヤコブとラバンは仲直りし、これ以上は争わないことになりました。 ヤコブは石を立てて契約の印として石塚を作りました。 ラバンはこの石塚をエガル・サハドタ、ヤコブはガルエドと名付けました。
どちらの名前も「証の石塚」をあらわすもので、それぞれ、ラバンの使ったアラム語での表記、ヤコブの使ったヘブライ語です。
当時は契約書類等は一般的ではなかったので、こういったランドマーク的な契約を思い出させる石塚は重要なものでした。
また、この石塚はミズパとも呼ばれていますが、これはヘブライ語で「見張りの塔」や「見守る場所」を意味しています。
31章49節で「われわれが互いに別れたのちも、どうか主がわたしとあなたの間を見守られるように。もしあなたがわたしの娘を虐待したり、わたしの娘のほかに妻をめとることがあれば、たといそこにだれひとりいなくても、神はわたしをあなたとの間の証人でいらせられる」
と言った通り、ラバンとヤコブはお互いに遠く離れることになりましたが、神様が彼らの契約を見守り、守ってくれるという信仰を表しています。
そして、ラバンはこの石塚を境界線として、お互い不干渉とするように約束し、そして、次の日、ラバンの孫と娘たちと口づけをして帰っていきました。
● 神の守りと共に
ヤコブは神様から「故郷へ帰りなさい」という明確な啓示を受けていました。ここで、彼は素直に「神様のお言葉です」と伝えて堂々と帰るという選択肢がありました。しかし、実際にはヤコブはラバンを恐れていました。20年間仕えてきたラバンとの関係が、ヤコブにとって強い抑圧を与え、神様の導きを信じて行動することにためらいを生じさせたのかもしれません。
しかし、ヤコブが本当に恐れるべきはラバンではなく、全てを見守っておられる神様です。もし彼が素直に神様の啓示に従って行動していたなら、神様がラバンに介入して守ってくださることは確信できたはずです。実際に、ラバンがヤコブを追ってくるとき、神様がラバンの夢に現れ、ヤコブに何もしてはならないと警告されました。
このことは私たちにも重要な教訓を教えています。神様はラバンとヤコブの争いに介入し、平和的な解決へと導かれました。これは、私たちが不公正な扱いや試練に直面したとき、神様が守ってくださるという約束を再確認させてくれます。ヤコブとラバンの和解は、私たちが葛藤の中でも神様の導きに従うことがどれほど大切かを教えてくれます。
私たちもまた、日常の生活の中で人間関係や立場からくる葛藤に直面することがあるでしょう。しかし、どんな状況においても神様が私たちと共にいてくださることを信じ、信仰を持って正しい判断と行動を取ることが大切です。私たちは恐れや迷いに支配されることなく、神様の導きを信じて生活していきたいと思います。