著者はこの章のはじめで、信仰の本質を示し、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させる。」と語ります。
それから、アベル、エノク、ノアと洪水前の人々の信仰による歩みを思い出させ、ついでアブラハムとサラの信仰を語ります。彼らはみな信仰者の真の故郷、神の都を望み見て歩み、神はそれを彼らのために用意されたのです。
著者はさらに、イサクとヤコブの信仰の歩みを延べ、モーセの信仰による歩みを語りました。それから、遊女ラハブの信仰をはじめ、多くの有名無名の人々の苦難の中での信仰の証を語ります。
このような多くの信仰の証人の歩みはすべて、「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させる」ことを証しするものです。
人は多くのものを望みますが、それが実際に手に入るとは思っていません。だれかにそうしてやると云われても現実に手に入れるまで不安に思うものです。
しかし、信仰は、主によって与えられると約束され、その実現を待ち望んでいる事柄をすでに手にしているかのように確信し、いわば目に見ていない事柄の実体をすでに握っているかのように行動します。
そのような信仰の歩みが、その信じることの実現をもたらすのです。あるいは、そのような信仰に生きる者に主は「その信仰のとおりになるように」と云ってくださるのです。私たちも世々の聖徒にならって「信仰によって」歩むものとしていただきましょう。