「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです」
この章の前半は、9章に続いて、旧約の規定と新しい救の道を対比しています。
律法によるささげ物は罪人を全うすることができないが、キリストのいけにえは完全で、それによって、私たちは聖なるものとされており、もはや罪のためのささげ物は必要がない。
このようにして、私たちは、イエス・キリストの血によって、大胆に神に近づくことが許されているのだから、全き信仰をもって真心から神に近づこうではないかと著者は呼びかけます。
そして、このようなすばらしい神の救をしって後、故意にそれを侮る者に救はないという警告を与え、激しい苦難の中にある人々に約束のものを手に入れるために必用なのは忍耐だと励ましを与えます。
神さまは、イエス・キリストのために、完全ないけにえとなるべきからだを備え、イエスさまは、そのからだを私たちのために完全ないけにえとして神さまにささげてくださいました。
そのただ一度のささげものによって、私たちは聖なるものとして全うされたのです。神さまは私たちの罪を決して思い出さないと云ってくださるのです。
ですから、私たちも、自分で自分の罪を何とかしようとしたりしないで、自分の罪はすでにイエスさまの贖いによって全うされていることを確信し、イエス・キリストの血によって大胆に神さまのみ許に参りましょう。