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選民を超えた救いの約束
イザヤ65章1節には、驚くべき救いの約束が記されています。「わたしを求めなかった者たちに、わたしは現れ、わたしを捜さなかった者たちに見つけられた」。この預言は、選民イスラエルだけでなく、異邦人である私たちにも神が御自身を示してくださることを告げています。イスラエルは不従順と偶像礼拝を繰り返し、主を怒らせ続けましたが、主の憐れみは消えることがありませんでした。
裁きの中にある憐れみ
主は偶像礼拝の罪に対して裁きの火を燃やすと宣言されますが、同時に希望も語られます。「ぶどうの房の中に少しでも甘い粒があれば、その房を全部すててしまわないように、わたしもわたしの民を全部滅ぼしはしない」。主は残りの者を保ち、主を求める民には約束の地を与えると約束されました。この裁きと憐れみの均衡の中に、神の変わらない愛が示されています。
新しい天と新しい地の希望
17節から18節には、究極的な希望が語られます。「わたしは新しい天と新しい地とを創造する。あなたがたは、わたしの創造するものを、いつまでも楽しみ喜ぶがよい」。そこには泣き叫ぶ声も呪いもなく、すべてが祝福されています。災いをもたらすものは何もなく、主の統治の下に完全な平和が実現します。
この新天新地の約束は、選民以外にも示された者、すなわち主の恵みを受けたクリスチャンである私たちにも与えられています。今年を閉じるにあたり、過去の悲しみではなく、永遠に続く主のいつくしみと新創造の喜びをもって、父なる神様に感謝を捧げましょう。
いつまでも楽しみ喜ぶ者として
主は「わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする」と語られます。神御自身が私たちを喜びとされるという、なんと驚くべき恵みでしょうか。そこには安住があり、建てた家を奪われることもなく、主の聖い山においては災いが完全に取り除かれます。この約束を握りしめ、新しい年へと歩み出す私たちは、主の創造される新天新地をいつまでも楽しみ喜ぶ者として、希望のうちに日々を過ごすことができるのです。
城尾マコト牧師