コロサイ人への手紙は、使徒パウロがローマで監禁されていた時期に書かれた手紙です。

この手紙は、パウロが直接コロサイの教会を設立したわけではなく、彼の弟子であるエパフラスがコロサイの教会を設立し、その後、教会内で異端的な教えや信仰の混乱が広がり始めたことを報告しました。

この問題に対応するため、パウロはキリストの神性と優位性、そして信仰の正しいあり方を強調する手紙をコロサイの信徒に宛てて書いたのです。

この手紙を通して、パウロは教会を守り、信者たちの信仰が健全に成長するように導こうとしました。

● コロサイ人への手紙1章28節

” 私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、すべての人を戒め、教えているのです。 “


それは、すべての人がキリストを信じ、信仰が一人前に成長するためパウロの宣教によってたくさんの教会が立て上げられました。

まさしく、詩篇にある御言葉がここで成就したのではないでしょうか。


1世紀のローマ帝国時代、パウロがこの手紙を書いた当時のコロサイ教会は、異教の影響や混乱した信仰の中にありました。

ギリシャ・ローマ文化では、多神教が支配的で、哲学的な議論や様々な宗教の実践が混ざり合っていました。

この背景の中で、パウロはキリスト教の純粋な信仰を守るために、異端的な教えからコロサイの信徒を守ろうとしました。

コロサイ1章28節は、パウロがコロサイの教会に対して、異端や誤った教えから信徒を守り、キリストに基づく真実な信仰を成長させるための重要な教えです。

聖書的には、キリストの優位性と信仰の成熟が中心に置かれ、当時の文化では哲学や異教的な知恵に対抗する形で、神から与えられた知恵に基づいた教えが語られています。

● 詩篇33篇1-3節

” あなたがた正しい者たちは、主によって喜び歌いなさい。
 賛美は、心の素直な人々にふさわしい。
 竪琴を弾いて主に感謝し、十弦の琴を弾いて主をほめたたえよう。
 あたらしい賛美の歌を主に向かって歌いなさい。
 喜びの声をあげて、上手に琴を弾きなさい。 “


私たちは主を賛美する時に、ギターやバンドの演奏で歌ったりしています。

今も昔も心からの歌声はかわることがないのです。

「主をほめたたえよ」という喜びは、かわらないのです。

それは、私たちの心の内に主が宿っておられるからです。


【音楽の重要性】
当時の礼拝において、楽器を使った音楽が重要な要素でありました。

竪琴(ハープ)や十弦の琴(リュート)は、神殿での礼拝でよく用いられた楽器であり、賛美を豊かに表現するために用いられていました。

楽器を通じて、神への感謝と喜びが表現されていたのです。

【新しい歌という表現】
古代のユダヤ社会において、「新しい歌」は単に新しいメロディや歌詞を指すだけでなく、神が与える新しい恵みや救いに対する応答を意味しました。

神が新しい祝福をもたらした際、それに対して新たな賛美を捧げることが求められたのです。


当時の文化や慣習では、神を賛美する行為は信仰者の中心的な行動であり、楽器や音楽を使って神に喜びを捧げることが礼拝の重要な一環でした。

詩篇33篇1-3節は、この礼拝における喜びと賛美の重要性を強調しています。

● 詩篇33篇4-6節

” 確かに、主の御言葉は正しく、その御業はことごとく真実である。
 主は、正義と公平を愛される。地は主の愛で満ちている。
 主の御言葉によって、天は造られ、星の輝く天の万象も、主の一言によって造られた。 “


この節では、特に神の創造の力と正義、公平、愛が強調されています。

これらは当時のイスラエル人にとって、神への信仰を深めるために重要な要素でした。

【神の創造の力】
古代の文化では、天や地、星々などの自然現象は神々の力の象徴とされていました。これは神にとって偶像崇拝とされています。

ここでは、イスラエルの神が、単なる神々ではなく、唯一無二の創造主であることが強調されています。

この点は、異教の神々が自然の一部として崇拝されていた偶像崇拝に対する対抗的なメッセージとなっています。

【正義と公平】
古代の社会において、王や裁判官が正義と公平を守ることは重要でしたが、完全な正義を実行するのは難しいことでした。

ここでは、神が完全に正しい裁きを行い、偏りなく公平であることが強調されています。

神の正義と公平さは、地上の権力者たちとは異なる完全なものであり、信頼できるものでした。

【神の愛の広がり】
地上が神の愛で満たされているという表現は、古代イスラエル人にとって安心感と希望の源でした。

神の愛は彼らの国だけでなく、すべての被造物に及んでおり、全地にわたって守られているという認識がもたらされます。

● 聖餐式における主の言葉
聖餐式の時に

「主を心にきざみ付けるために、主は正定された。とあります。
 イエス様は、もう一度、私はここにもどって来ます。その時まで私をおぼえていてほしい」

とおっしゃいました。


聖餐式は、主イエス・キリストが最後の晩餐で弟子たちに示した儀式に基づいています。

新約聖書のいくつかの箇所で、イエスがパンと杯を取り、それを弟子たちに渡しながら、自分の体と血として記憶するように命じました。

聖餐式はキリストが自らの体と血を象徴するパンと葡萄酒を記念するものとして、キリスト教の礼拝の中で重要な儀式とされています。

この儀式を通して、信徒たちはキリストが十字架にかかられた事を記念し、主の再臨までその記憶を心に刻むことが求められています。

● 慈しみ深い救い主イエス・キリスト
愛なる方、いつくしみ深く、あわれみにあふれ、信頼できるお方。

救い主、イエス・キリスト様です。


【愛なる方】
イエス・キリストが愛そのものであるという表現は、新約聖書全体を通じて強調されています。

代表的な箇所として、ヨハネの福音書3章16節「神はそのひとり子をお与えになったほどに、この世を愛された」があります。

イエスの愛は無限であり、すべての人に対して注がれるものです。

イエスの愛は、犠牲を通して現れました。

【イエスのあわれみと癒し】
イエスは貧しい人、病気の人、罪人たちをあわれみ、癒し、彼らに福音を伝えました。

イエスのこの姿勢は、当時の社会で異彩を放っていました。

古代ローマやユダヤ社会では、病人や貧しい人々、社会的に疎外された人々に対して冷淡な扱いが一般的でしたが、

イエスはそうした人々に特別な愛とあわれみを示しました。

【指導者イエス】
当時の社会には、権威を持つ宗教的指導者や政治的指導者がいましたが、イエスはその中で異なる指導者像を示しました。

彼は他者に仕え、自ら犠牲を払い、人々を愛し導くリーダーでした。

イエスに対する信頼は、その生涯を通しての行動と、最終的に彼の死と復活によって裏付けられました。

【救い主、イエス・キリスト様】
これは、キリスト教の信仰の中心となる概念です。

イエスは、全人類のために救いをもたらす救い主として聖書で描かれています。

使徒行伝4:12「ほかの誰によっても救いはありません。この方のほかに、私たちが救われるべき名は、天下に与えられていないからです」

とあるように、イエス・キリストは唯一の救い主です。