● エサウとの和解
ヤコブが20年前、兄のエサウと父のイサクに対しておかした罪が原因で、兄エサウとの再会を非常に恐れていましたが、きちんと正面から会って兄エサウと和解をしようと決心したところからになります。

ヤコブはついにエサウと出会いました。エサウは400人の部下を引き連れてこちらへ向かっています。とても迫力のある光景だったことでしょう。ヤコブは先頭に立ち、エサウにした事について大きく反省し、最大限の敬意を示すために7回ひれ伏してからエサウのもとへ進みました。

7回という数字は完全性を意味し、彼の行為が形式的なものではなく、誠意を尽くした和解の象徴であることを強調しています。

さて、再会したエサウはそんなヤコブを見てどうしたのでしょうか。

彼はヤコブのもとへ走り寄ってヤコブを抱きしめ、そして口づけをし、そして大声で泣きました。

ヤコブもここでようやくエサウに赦されたのだと、そしてエサウと再会できたことを実感し、エサウと一緒に泣きました。

ヤコブは神様の使いと取っ組み合いの格闘をし、そのときに足の付け根の関節を外されびっこを引いていました。

もう神様に頼る以外にない、自分の罪を認め、罪の報いを受け止める覚悟をもって謙虚にエサウに向かいました。

そしてヤコブは許されました。

神様は時にはわたしたちに、自分ひとりの力では何もできない状態にされる時があります。

そのときわたしたちは、ただ神様を信じて、神様の裁きに身を任せることが必要です。

エサウはそんなヤコブを見たからこそ、過去のことを赦して再開を喜んでくれました。

お互いひとしきり泣いたあと、エサウはヤコブの後ろにいる、ヤコブの奥さん達や子供達を見て言いました。

「ヤコブ、お前のうしろにいる人達は一体だれだい?」

「神様がわたしに授けてくださった妻と子供達です」

「ここにくるまでに出会った沢山の家畜の群れもいたんだが、あれは一体どうしたんだい?」

「あれはお兄さんへの贈り物です」

「ははは、そんなことしなくても、わたしは十分にもっている、遠慮しておくよ」

「いいえ、それではわたしの気がすみません。あなたにした事に対する誠意をどうか受け取ってください。神様がわたしを沢山祝福してくれましたので、わたしも沢山もっていますから」

こんな話をしながら贈り物の家畜を「どうぞどうぞ」「いやいや」「どうぞどうぞ」と遠慮するエサウに半ば強引に受け取ってもらい、ヤコブはエサウと無事仲直りすることができました。

● スコテでのトラブル
 無事仲直りができたところで、エサウはヤコブに言いました。

「さぁ、帰ろう、わたしが先にいくよ」

「まってください、かよわい子供もいて急いで移動すると大変なので、先に行っててもらえますか? わたしは後からゆっくり行きます」

「そうかい、ならわたしの部下を何人か残していこう」

「いえいえ、大丈夫です。わたしには神様が一緒についているので大丈夫です」

エサウはヤコブと一緒に故郷へ戻ろうと提案してくれましたが、ヤコブは後からいきます。と言って先にセイルという場所へ帰ってもらいました。

そして、ヤコブはエサウに後から行くと嘘をつき、セイルにはいきませんでした。

実はまだヤコブはエサウに対する怖い気持ちが完全に克服できていませんでした。一緒に帰ろうと言ってくれましたが、不安な心が完全になくなってはいなかったので、エサウとは距離を置きたいと思っていました。

これはヤコブの失敗でした。神様が共にいて守ってくださる事を信じ、神様からの次に進むべき道を問うべきでした。生まれ故郷から親戚のところへ逃げる途中、神様が現れてくださり、石を立てて礼拝したベテルに立ち寄り、神様に礼拝を捧げるべきでした。

30章の17~18節には「スコテに家を建てた」とあり、次に「シケムの町で土地を買って祭壇を建てた」とあります。

一見スコテに定住するように見えますが、スコテは一時的な滞在場所で土地を買ったシケムの町に長期滞在していると思われます。

ヤコブには11人の息子の他にレアとの間に生まれたデナという娘もいました。あるときデナはシケムにいる女性たちに会おうと思って町にでかけました。

「おや、なんてかわいらしい人だ、是非わたしのお嫁さんに欲しいな」

シケムに住むシケム、ややこしいですね、町と同じ名前の人です。シケムはデナをひとめ見て気に入り、捕まえて無理やりお嫁さんにしようとしました。デナの気持ちを考えず無理矢理に心と身体を傷つけてしまうような酷いことをしてしまいました。

その後、シケムはシケムのお父さんのハモルに「この娘をわたしの妻としてもらってください」とお願いしました。酷い話です、事後承諾ですね。

● 偽りの約束
デナが家へ戻り、ヤコブはこの事を知りましたが、息子達が外で仕事をしていたので帰ってくるまで話し合いをするため黙っていました。

そのとき、シケムのお父さんのハモルがヤコブを訪ねてきました。「この娘をうちの息子のお嫁さんにください」と交渉するためです。

そんな時、ヤコブの息子達が帰ってきました。そして息子達は話を聞いてとても悲しみ、そしてとても怒りました。

「あなたの娘さんを息子のお嫁さんに欲しいのです。是非わたしたちと一緒に住みましょう。あなたたちの欲しいものはなんでも差し上げます」

シケムのお父さんであるハモルはこう言いましたが、ヤコブの息子達はこう言いました。

「わたしたちは割礼を受けてない人に妹をあげるわけにはいきません」

割礼というのは、男性が人の生活に支障のない身体の一部を切り取る宗教的な儀式でした。身体の一部を切り取るため苦痛を伴い、その後回復するまで普通に生活するのが難しくなるものでした。

ヤコブの息子達は冷静に交渉している風を装っていましたが内心は我々の一族が侮辱され名誉が傷つけられた。こんなことはあってはならないことだ!!と激しく怒りに燃えていました。

その事に気が付いていないハモルは「なるほど、それでデナをお嫁さんにもらえるのなら」と納得しました。

そして、シケムの町の人達を説得し、全員割礼を受けました。

先に書いた通り、割礼は日常生活に支障を来す宗教的な儀式です。まだ十分に身動きがとれないその時をヤコブの息子達は狙っていました。

シメオンとレビはシケムの町を襲い、町中の男の人を殺してしまい、その財産を奪いました。

なんと罪深い事をしてしまったのでしょうか、事の発端はシケムでしたが、シケムのお父さんのハモルは紳士的に交渉を行いました。

それに対してヤコブの息子達は怒りに身を任せて神様から与えられた割礼という儀式を悪用して復讐を行いました。

さらに遡ればエサウを恐れる心がヤコブを脇道にそれさせてしまい神様から離れてしまったことも原因のひとつだと言えます。

わたしたちも、神様ではなく人を恐れる心から脇道にそれてしまう事はあることでしょう。心が迷った時、神様に問いかけ、正しい道を歩んでいくことができるよう日々努力する事が大切です。

● ベテル
あるとき神様はヤコブに「ベテルに行き、そこに住みなさい。そして以前あなたがエサウから逃れる時、あなたに現れた神の祭壇を造りなさい」と言いました。

ヤコブは神様からの命令に従うため、家族達にもっている偶像を捨てさせ、そして身体を綺麗にして着替えさせました。

これは改めてヤコブが立ち返り、神様の前に清い状態で出るために必要な事でした。ただ外面を身綺麗にするだけでなく、霊的な浄化という意味もありました。

ヤコブの一族は神様に仕える身ではありますが、ラケルがラバンの偶像を盗み出したように完全でないものもいました。

彼らはヤコブに従い、持っている偶像と耳飾りを捨てました。当時、耳飾りはアクセサリー的な意味以上に偶像信仰に関連するものでした。

ヤコブの家族が偶像と耳飾りを捨てた事は、偶像を完全に断ち切るために必要な事でした。

さて、シメオンとレビがシケムの町を襲った事でヤコブの立場は非常に危ういものとなっていましたが、神様はヤコブを守るために「大いなる恐れ」を起こし、ヤコブ達を追いかける事ができないようにしてくれました。

ヤコブはエサウを傷つけては逃げ出し、ラバンを欺いては逃げ出し、そしてシケムでは人々の恨みを買い逃げ出しています。失敗の多い人生ですがその度に神様から守られ、そして神様に立ち返るべきことを教えられ、少しづつ神様に向かって歩んでいけるよう変えられていきました。

「ベテル」は最初エサウから逃れる時、最初に神様がヤコブに現れてくださった場所です、ヤコブの出発の原点でもありました。そして再度ベテルに訪れ祭壇を造ることで、もう一段階高められた出発となりました。

神様はヤコブにこう言いました。創世記35章の10節から読んでみます。


「あなたの名はヤコブである。しかしあなたの名をもはやヤコブと呼んではならない。あなたの名をイスラエルとしなさい」

こうして彼をイスラエルと名付けられた。

神はまた彼に言われた。

「わたしは全能の神である。
 あなたは生めよ、またふえよ。
 1つの国民、また多くの国民があなたから出て、
 王たちがあなたの身から出るであろう。
 わたしはアブラハムとイサクとに与えた地を、
 あなたに与えよう。
 またあなたの後の子孫にその地を与えよう」


こうして、ヤコブは神様に語り掛けられた場所にあらためて「ベテル」と同じ名前を付けました。同じ場所に同じ名前をつける事は神様との契約を再確認する意味もあり、とても大切な事でした。

信仰生活というものは失敗をしては神様のもとへ立ち返り、もとの出発点へ戻ってきます。そして新しく作り変えられ、再出発する。それの繰り返しです。罪に気づいたら悔い改め、行き詰ったら信仰の原点に立ち返り、神様の導きに身を委ねていく事がとても大事な事なのです。

● 神様からの約束と祝福
ヤコブはこの故郷へ帰る旅で身近な家族を亡くしていきました。

まずヤコブのお母さん、リベカのうばデボラが亡くなりました。デボラはいつからヤコブの旅に同行していたのかは聖書に記載はありませんが、きっとヤコブにとって心強い家族だったに違いありません。デボラはかしの木の下に葬られ、その木は「アロン・バクテ」と呼ばれました。アロン・バクテは「涙の樫の木」という意味で、デボラが亡くなった事は深い悲しみがあったのだと思います。

次にヤコブの最愛のお嫁さんラケル。ラケルは最後にヨセフの弟ベニヤミンを生みましたが、難産だったため、亡くなりました。エサウとの再会時にはヤコブは先頭にたち、ラケルとその息子ヨセフは安全な一番後ろに立たせていました。まだまだお互い人生これからという中でのラケルとの別れはヤコブにとって大きな傷跡となったのかもしれません。

最後にヤコブのお父さんイサク。イサクは年をとり、180歳で亡くなり、ヤコブはお兄さんのエサウと一緒にイサクを葬りました。20年以上故郷から離れ、ようやくエサウとも和解できたのに、お父さん、帰ってきたよ、これからまた一緒に暮らしていけるね。そんな時に訪れた別れ、とても悔しい思いをしたことでしょう。

ヤコブはとても悲しい出来事を立て続けに経験しましたが、アブラハムからイサク、イサクからヤコブへの新しい世代へ神様からの約束と祝福が引き継がれるとても大切な出来事でもありました。

神様からの愛と祝福は前の世代から後の世代へと引き継がれていきます。そしてそれはこれからもずっと人の世がある限りいつまでもずっと続いていきます。わたしたちは神様との約束と祝福を信じて自分の人生を全うし、そして新しい世代へと神様の言葉を伝える信仰生活を引き継いでいけるよう頑張っていければ良いなと思います。