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詩篇121篇1~3節
「私は山に向かって目をあげる。わたしの助けはどこからくるのだろうか。私の助けは天地を造られた主から来る。」
神の愛と救いの約束
神はその独り子であられるイエス・キリストをこの世に遣わされ、十字架上で私たちの罪の身代わりとして死なせるほどに、私たちを愛してくださいました。それは、イエス・キリストを信じる人がだれであろうと、滅びることがなく、救われるためです。 神が御子イエス・キリストを世に遣わされたのは、この世を裁くためではなく、御子によって世の人々が救われるためでした。御子を信じる人は決して裁かれません。しかし、御子を信じない人は、すでに裁かれています。
光と闇の対比
その裁きとは、光である神の御子キリストがこの世に来られたにも関わらず、人々が自分の行いが悪いので、その醜さが光の下で明らかにされることを恐れて、光の下に来ようとせず、むしろ闇を愛したことです。悪いことをする者は光を避け、光であるイエス・キリストを憎んでいます。しかし、真理に従って生活しようとする人は光であるイエス・キリストの所に来るのです。
ニコデモとの対話
ヨハネ3章には、主とニコデモとの対話が記されています。ニコデモはユダヤ人の指導者でしたが、人目を避けて夜にイエス様を訪れ、「どうしたら救われて神の国に入ることができるのか」と尋ねました。
イエス様は答えられました。「確かに、どんな人でも生まれ変わりを経験しなければ、神の国に入ることはできません。」ニコデモは肉体的な再誕生のことと勘違いしましたが、イエス様は霊的な生まれ変わりについて語られていました。
御霊による新生
「確かにどんな人でも肉体の誕生だけでなく、御霊による霊の生まれ変わりを経験しなければ、神の国に入ることはできません。」風のように、御霊による霊の生まれ変わりは目に見えませんが、確かに働いているのです。
十字架への預言
イエス様は旧約聖書の出来事を引用して説明されました。「昔、イスラエルの民が荒野で神様に逆らった時、火のヘビの罰を受けましたが、モーセが青銅のヘビを作って棒の先に付け、これを仰ぎ見る者は救われました。ちょうどそれと同じように、わたしは十字架の上に掛けられます。十字架に掛けられるわたしを仰ぎ見て信じる人はだれでも救われるのです。」
神の国に入るためには、イエス・キリストを信じ、御霊による新しい生まれ変わりを経験することが必要です。主は私たちを救うために十字架で死んでくださいました。この恵みを受け入れる者が、神の国に入る人なのです。
城尾マコト牧師