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使徒信条にある「われは聖霊を信ず」という言葉は、単なる信条ではなく、今も生きて働いておられる主イエス・キリストを証しする私たち一人ひとりの告白です。使徒の働き2章には、ペテロがペンテコステの日に語った説教が記されています。その中で、彼はこう語りました。「イエスは神の右に上げられ、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしている聖霊を注がれたのです」(2:33)。

これは、当時の弟子たちに限らず、私たちにも向けられた真理です。神の右に座しておられるイエス様が、御父の約束された聖霊を注いでくださっている。私たちがその聖霊に満たされて歩むならば、信仰も生活も、主と共にある新しい命に満ちていきます。

聖霊は人格をもつ方です。「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エペソ4:30)、「聖霊を消してはなりません」(Ⅰテサロニケ5:19)とあるように、私たちは日々、この聖霊との関係を大切にしなければなりません。また、ゼカリヤ書4章6節では「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と語られています。主の働きは、私たちの力ではなく、神の霊によってなされるのです。

洗礼の際には「父と子と聖霊の御名によって」と命じられますが、それは三位一体なる神が、私たち一人ひとりに人格的に関わってくださるという約束でもあります。天の父に祈り、御子イエスを愛し、聖霊に導かれる信仰生活は、ただの宗教ではなく、生ける神との親しい交わりなのです。

そして、キリストの教会とは、その聖霊によって生まれた尊く不思議な存在です。ペンテコステの日、聖霊が注がれ、人々の心が刺され、悔い改めへと導かれました。「その日、三千人ほどが弟子に加えられた」(2:41)とありますが、これは奇跡というよりも、神の霊が働かれるときに自然に起こる恵みの結果なのです。

先日、宮崎で行われたラジオ「世の光」の祈祷会にも、多くの主のしもべたちが集まり、聖霊の恵みの中で交わりを持ちました。時代が変わっても、主の霊は変わることなく働いています。

今週も、聖霊に満たされ、神の右におられるイエス様に目を向けつつ、共に歩んでまいりましょう。

城尾マコト牧師