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ヨセフの次の時代
神様のご計画で7年の大豊作と7年の大飢饉がありました。ヤコブの子ヨセフは神様に導かれて7年間の大飢饉からエジプトを救い、そして家族であるヤコブの一族をも救いました。
ヨセフの名前はエジプト中で知れ渡っていましたが、それからおよそ200年から400年経ち、ヨセフの事を知らない新しい王様パロが現れました。
エジプトは非常に階層的な社会で、パロの権威が絶対的でした。新しい支配者が登場すると、前の支配者の記録や影響を消し去ることが一般的だったので、ヨセフの事は記録に残さず消し去られていたのかもしれません。
エジプトはよそからやってくる民族を警戒する傾向があり、イスラエル人がエジプト内で増え続け、エジプトの社会に溶け込まず、独自のアイデンティティを保っていたため、脅威とみなされたのでしょう。
パロは言いました。
「イスラエル人はわれわれエジプト人にとってとても脅威だ。数も多いし力も強い。彼らをこきつかって弱らせてやらなければ」
そして、パロはエジプトのイスラエル人達にとてもとても辛くて大変な仕事をさせてこきつかいました。
厳しい仕事で苦しめられたイスラエル人は人数が減るどころか、ますます増えていきました。
「なんてことだ!数が減るどころか増えているではないか!それではこうしてやる、男の子が生まれたら生かしておいてはならない」
なんという恐ろしい命令でしょう、そんな酷い事をしたらきっと神様から厳しい罰をうけてしまうでしょうお。そう思った助産婦たちは、パロから受けた命令に背いて男の子が生まれても何もしませんでした。
パロは助産婦たちに怒って「なぜ命令を守らないのだ」と言いましたが、助産婦達は「ヘブル人の女性はみんな健康でとても強いので、わたしたちが到着するまえにもう産んでしまっていたので、なにもできませんでした」と答えました。
助産婦たちは王様パロよりも神様に従ったので、神様に祝福され彼女たちの家はとても栄えました。
「ならば仕方ない、男の子が生まれたらナイル川に投げ込んでしまえ」
こうして、パロによるイスラエル人への迫害は続きました。
レビ人の男の子
さて、ヤコブの子レビの子孫である夫婦がいました。彼らの間に、とてもとても可愛らしい男の子が生まれました。男の子が生まれたらナイル川に投げ込まなければいけません。しかし、あまりにも可愛い男の子を見捨てることなどできず、彼らはエジプト人から隠して育て続けました。
三か月が過ぎ、家の近くにはエジプトの兵士たちが行きかい、まだ赤ちゃんの男の子は元気いっぱい声を出し、泣き出すこともありました。とうとう隠し切れなくなります。しかし、命令通りにこの子をナイル川に投げ込むなんて恐ろしいことはできません。
悩んで考えた末、彼らはパピルスを使ってカゴを編みました。そして、水がカゴの中に漏れないようにアスファルトと樹脂を塗り、その中に男の子を寝かせて、ナイル川のそばの葦が生い茂る草むらの中にそっと置きました。両親は泣きながらその場を離れ、神様がこの子を守ってくださるよう祈りながら委ねました。
ナイル川は当時のエジプト人にとって神聖な川であり、王族や上流階級の人々が水浴びや祈りのために訪れる場所でした。イスラエル人のように迫害されている者ではなく、エジプトの王族や上流階級の誰かが拾って助けてくれることを願っていたのでしょう。
愛する家族を手放す、とてもとても辛いことです。わたしたちが同じような場面に遭遇したら家族を手放さず守り切る覚悟でいられるでしょうか、世の中には大切な家族を守り切れず辛い別れをしたり、とても口では言えないような辛い体験をしたり。どれだけ愛していても人の手では限界がある。そんな状況から守って下さるのは神様以外にはいらっしゃいません。
この夫婦にとって絶望的でどうしようもない状況でした。しかし、神様はこの夫婦に助けの手を差し伸べてくださいました。
思わぬ拾い主
この男の子にはお姉さんがいました。お姉さんは赤ちゃんがどうなるのか気になって、そっと離れたところから見守っていました。すると、エジプトの王様、パロの娘が侍女たちと一緒にナイル川へ身体を洗いにやって来ました。
「あら、どこかから赤ちゃんの泣き声が聞こえるわ。何かしら?」
パロの娘は葦の茂みに目を向けました。そこにはカゴが隠れているのが見えました。侍女たちにそのカゴを取ってくるように命じ、中を覗き込むと、なんとそこにはかわいい男の子の赤ちゃんが寝ていました。
「姫様、この子はヘブル人の子供です」
侍女の言葉に、パロの娘は赤ちゃんをじっと見つめました。その泣き顔はあまりにも愛らしく、彼女の心を動かしました。
「まぁ、なんてかわいそうなの。きっとお父様の命令に従えなくて、この子をここに置いていったんだわ」
パロの娘は赤ちゃんを抱き上げ、静かにあやしました。エジプト人である彼女でしたが、その心は優しく、王である父の命令通りにするなんてとても考えられません。
「どうしたらいいのかしら……」
彼女が赤ちゃんを抱えながら思案に暮れていると、突然、一人の小さな女の子がそばにやって来ました。その女の子は男の子のお姉さんでした。
「お姫様、その男の子のために世話をしてくれる乳母を知っております、連れて来ましょうか?」
「まぁ、それは助かるわ。是非連れてきてください」
お姉さんは家へ戻り、お母さんを連れてきました。なんて賢いのでしょう!お姉さんは男の子を拾ったのがエジプトの偉い人だと気づき、巧みに言葉を選んで、本当の母親を乳母として連れてきたのです。
そして、パロの娘もきっとわかっていたのでしょう。それと知りつつも、男の子の世話を本当の母親に乳母として頼み、さらに報酬まで出すと言いました。
男の子は本当の母親のもとで育てられ、大きく成長すると、パロの娘のもとへ返され、彼女の子供として迎え入れられました。
パロの娘は彼を「モーセ」と名付けました。「水の中からわたしが引き出したからです」と。
姉の賢さとパロの娘の優しさ
モーセはお姉さんミリアムの賢さと勇気ある行動、そしてパロの娘の優しさによって救われました。物語を読むと、まるで偶然が重なった結果のように思えます。しかし、これもすべて神様のご計画によるものです。
モーセはまだ弱く、自由に動けない赤ちゃんでしたが、神様はミリアムとパロの娘という全く異なる立場の人々を用いて彼を救い出されました。そして、この出来事は、モーセが後にイスラエル人全てを救い出すという壮大な物語の序章となっていきます。
神様は私たちの日常の中でも、私たちが気づかない形で人や出来事を用いて、ご計画を進めておられます。
モーセの受難
モーセはパロの娘のもとで成長しました。彼はエジプト王宮で王族としての教育を受けながら、自分がヘブル人(イスラエル人)であることを知っていました。同胞たちがエジプト王パロによって激しい迫害を受けていることを見聞きし、そのたびに心を痛めていました。
ある日、モーセはエジプト人がイスラエル人を激しく迫害している場面に遭遇しました。周囲を見回すと誰もいません。モーセは正義の心に燃え、そのエジプト人を倒して砂の中に隠してしまいました。
また別の日、モーセは二人のイスラエル人が争っている場面に出くわしました。
「やめるんだ。仲間同士で争ってはいけない!」
間に入って仲裁しようとしましたが、一人の男が言いました。
「なんだお前は、俺たちの裁判官か何かか?この間やったように俺も同じ目に合わせる気なのか?」
その言葉を聞いたモーセは驚きました。「あのことが知られてしまったに違いない……」モーセは恐れ、このままでは命が危ないと考えました。そして、エジプトを去る決心をしました。
同胞であるイスラエル人を救いたかったのですが、同じイスラエル人である同胞から理解が得られず、また、エジプトという国が相手では自分はとてもとても小さなものです。
モーセは逃げました。神様の助けがなければわたしたちの心にいかに正義の心があっても無力なものとなります。
モーセがエジプト人を倒した件は、ついに王であるパロの耳にも届きました。
「娘が拾って育てたあのヘブル人か……私の気に入らんやつだ。捕えてこい!」
パロはモーセを追い詰めようとしましたが、モーセは逃げ延び、無事にミデヤンの地へとたどり着きました。この逃亡こそ、神様のご計画の中で、モーセが新たな使命へと導かれる道の始まりでした。
つかの間の平和
モーセはミデヤンの地の井戸のそばで休んでいました。長い旅で疲れ切った彼は、水の音を聞きながらひとときの安らぎを感じていました。
そこへ、7人の娘たちがやってきました。彼女たちは羊を連れていて、井戸の水を汲んで羊に飲ませようとしていました。しかし、井戸のそばにいた何人かの羊飼いたちが彼女たちに近づき、乱暴に言いがかりをつけ始めました。
「おい、お前たち。この井戸は俺たちの縄張りだ。勝手に使うんじゃねえ!」
羊飼いたちは声を荒げながら、娘たちを乱暴に追い払おうとしました。娘たちは必死に反論しました。
「やめてください。この井戸はみんなのためのものです!」
「うるさい!早くあっちへ行け!」
乱暴な言葉と態度に、娘たちは怯えていました。その様子を見ていたモーセは、静かに立ち上がりました。彼は迷わず、羊飼いたちの前に歩み出ると毅然とした声で言いました。
「その手を離せ。彼女たちに何をしている?」
羊飼いたちは驚いてモーセを見ました。しかし、彼の鋭い眼差しと力強い態度に圧倒され、次第に後ずさり始めました。モーセは毅然とした態度で彼らを追い払ったのです。
娘たちは安心し、モーセに感謝しました。そして、羊たちに井戸の水を飲ませることができ、お礼をいいながら家へ帰っていきました。
家へ娘たちが帰ってくると、その帰りがあまりにも早かったので父親のリウエルは驚きました。リウエルはこの地域の祭司で、地域社会の精神的指導者でした。
「お前たち、やけに早かったじゃないか、いったいどうしたんだ?」
「今日はエジプトの人がわたしたちを助けてくれて、羊に水を飲ませるのも手伝ってくれたんです」
どうやら、あの羊飼いたちは毎日のように娘たちの水くみを邪魔していたようです。リウエルも、あの羊飼いたちをどうしたものかと思っていましたが、彼らは腕っぷしが強くて自分だけではどうにもできず困っていました。
「なんてことだ、そんな親切な人をどうして置いてきたんだ。さぁ早くここへ連れてきて食事をさしあげなさい!」
こうして、モーセは祭司リウエルの家へ招かれることになりました。
モーセはリウエルの家族たちとすっかり意気投合し、リウエルの娘のひとり、チッポラをお嫁さんにもらいました。
モーセとチッポラの間に男の子ができると「わたしは外国に寄留者となっている」と言って「ゲルショム」という名前をつけました。
こうして、モーセのつかの間の平和なひとときが過ぎていきました。
モーセの使命のはじまり
それから何年もたちました。イスラエル人を迫害し、モーセを捕えようとした王様パロは年老いて亡くなりました。
しかし、新しい王が即位しても、イスラエル人への迫害は止むどころか、ますます激しくなりました。彼らは重労働を課せられ、苦しみに喘いでいました。
「神様、どうか私たちを助けてください。もうこんな苦しみは耐えられません。」
「なぜこんな目にあわなければならないのですか。」
神様のご計画
イスラエル人たちの祈りと叫びは、神様のもとに届きました。神様はアブラハム、イサク、ヤコブと結ばれた契約を思い起こされ、エジプトで苦しむ彼らを救い出すための計画を進め始められました。
最初パロは、イスラエル人が他の民族と結びついてエジプトを脅かすのではないかと恐れました。しかし、それは神様の祝福の中で繁栄していた彼らに対する無理解から生まれたものでした。
しかし、イスラエル人がエジプトへ住むようになったのは最終的な目的地ではありませんでした。神様は、アブラハムに次のような約束を与えられました。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。…地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12章2~3節)
さらに、神様はアブラハムとの契約を確かなものとするために、豊かで流れ出る乳と蜜に満ちたカナンの地をアブラハムの子孫に永遠の所有地として与えると約束されました(創世記15章18~21節)。
このように、カナンこそが神様がイスラエル人に与えると約束された地であり、イスラエル人が本来帰るべき場所でした。しかし、エジプトで繁栄し安住していた彼らが、その地から自ら動き出すことは難しかったでしょう。
そこで神様は、イスラエル人が約束の地カナンへと目を向けるようにするために、エジプトでの迫害という試練をお許しになりました。この苦難こそ、神様がご自身の計画を成就するための手段でした。
イスラエル人にとって、この迫害は理不尽で不条理に感じられたかもしれません。しかし、神様の視点では、この苦難は彼らが信仰を深め、救いを待ち望む準備期間となりました。
モーセの母親は三か月の間、愛する子供を隠し続けましたが、守り切ることはできず、神様に委ねるしかありませんでした。
一方、成長したモーセもまた、同胞イスラエル人を助けようとしましたが、個人の力では限界があり、失敗してエジプトから逃げざるを得ませんでした。
個人の力ではどうしようもないことが世の中に溢れています。
これら理不尽な力に立ち向かうには、神様に用いられる以外にはありません。
イエス様も山上の説教で「悪人に立ち向かうな」と教えられ、「右の頬を打たれたら左の頬も向けなさい」と語られました(マタイ5章39節)。これは、報復ではなく善をもって悪に勝つように、神様にすべてを委ねる姿勢を教えています。
また、ローマ人への手紙12章19節でも愛する者たちよ、自分で復讐をしないで、むしろ神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。とあります。
私たちは、理不尽に思える状況に直面することがあります。しかし、私たちの力ではどうにもできない時、神様を信じて祈り、神様の助けを待ちましょう。神様は必ずご自身の計画を進め、最善の時に私たちに救いの手を差し伸べてくださいます。
だからこそ、神様を信じ、祈り続けましょう。神様はあなたを見捨てることなく、必ずあなたを助けてくださいます。