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 わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは父がすべてをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために手入れして、これをきれいになさるのである。

あなたがたは、わたしが語った言葉によって既に清くされている。

地と、それに満ちるもの、世界とその中に住む者とは主のものである。

新しい年も半月を過ぎ、20日をむかえようとしています。この短い日数の中で、大阪からの訪問者をむかえました。「旅人をむかえたならば心からもてなしてあげなさい」と主はおっしゃいました。私たちはいたらなかったのではなかろうか? 失礼があったのではなかろうか? と思いました。重度の障害者の方々に対してのフォローのむずかしさを感じて主に願いました。

お弟子さんたちが盲人を見て、このような人はだれの罪によってですか。両親ですか? と、イエス様にたずねられた時「神のみわざが現れるためです」とおっしゃいました。

あぁ、今ここにその時のイエス様がおられたならば、またこの人が主を信じることが出来るようになったならば、と思いました。

「わたしは、ある」と云う者だとおっしゃいます。アブラハムが生きた時から「ある」と云われます。まことに、まことに、すごい神様なのです。主イエス様、私たちを霊的に成長させ、助けてください。

わたしはぶどうの木と主は言われます。父なる神様は庭師のような気くばりで、私たちの成長を見ていてくださる。と主はいわれます。

わたしたちが、愛なる神に留まるなら、その愛を他の人にも示せるようになる。

哀歌の詩人はいいました。かんなんの中で「それゆえわたしは望みをいだく」

22節、主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。

23節、これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。

わが魂は言う「主はわたしの受くべき分である。それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と

主はおのれを待ち望む者とおのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。