今週の個所では神、御霊、キリストが主体となり、キリストにあって御霊を受けた者がいのちに満ち溢れ生き生きと生かされている姿が記されています。彼は神様を父と呼びキリストと共に相続人とされ、全被造物の贖いの望を担って、今の世を御霊によって生き、来るべき日には神の子として栄光を与えられるのです。そして彼を神の愛から引き離すものは何もないのです。
「私」を主として生きていたときのパウロは罪と死とに捕らえられ、「ああ、私は何と惨めな人間だろう。」と嘆かざるを得なかったのですが、このパウロが、目を天に向け、彼を愛し、彼のために御子キリスト・イエスを信じたとき、彼に御霊が注がれて、彼は神様の愛に安らぎ、神様を主とあがめる歩みに導かれました。そのとき、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の原理が彼を罪と死との原理から解放しました。彼の古き肉はイエス・キリストと共に十字架上で死に、その罪も処分され、新しく注がれた御霊のいのちによって神を喜ぶ人生によみがえらされたのです。神の御霊に生かされた彼は神様を「お父さま」と呼び、神様と親しく交わることを許され、またそれを喜ぶようになるのです。この幸いはパウロにだけでなく、イエス・キリストを信じるすべての人に開かれています。何という幸いでしょうか。イエス・キリストを救い主と信じ、いのちの御霊をいただいて、神様を喜ぶいのちに溢れた人生に導いていただきましょう。
この信仰に立つ私たちも、今の世において悩みがないわけではありません。どう祈ってよいかさえわからぬときがあります。しかし御霊が私たちのためにとりなして下さるのです。私たちの目にはなぜこんなことが…と思うことがよくあります。しかし、神さまはそのようなこともすべてを益にかえてくださるお方なのです。恐れたり心配したりしないで、イエスさまを信じ、神さまを見上げましょう。そして私たちが全うされるとき、それは全宇宙の救いになるのです。すべての被造物の贖いの完成のためにも、私たちは最後まで信じ続けましょう。私たちに対する神さまの愛は完全で、どんなものもキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないことを信じましょう。この愛を確信するとき、私たちは人生の勝利者となれるのです。