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出エジプト記24章「神様はあなたの心の中にいます」

契約締結の式典

神様はイスラエルの民に十戒と、契約の書と呼ばれる律法集を授けられました。

これは十戒を具体的な生活場面に適用した詳細な規定で、奴隷の扱い、暴力事件、財産損害、祭りの規定など、幅広い内容が含まれています。

神様はモーセに言いました。

出エジプト記24章1~2節

1. また、モーセに言われた、「あなたはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共に、主のもとにのぼってきなさい。そしてあなたがたは遠く離れて礼拝しなさい。
2. ただモーセひとりが主に近づき、他の者は近づいてはならない。また、民も彼と共にのぼってはならない」。

ナダブとアビウは、アロンの息子たちです。

モーセは、この事をイスラエルの民たちに伝え、イスラエルの民達は答えました。

「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」

燔祭と酬恩祭

翌日、モーセは山のふもとに祭壇と十二の柱を建て、神様に燔祭と酬恩祭として雄牛をささげさせました。

燔祭とは、捧げものを全て焼き尽くす祭儀で、何も残さず、全て神様に捧げる、という完全な献身を表します。

酬恩祭は、一部を祭司に、一部を捧げた本人たちが食べる祭儀です。神様と人間が共に食事をするというイメージです。

まず燔祭で完全な献身を表明する、そして酬恩祭で神様との交わりを祝う、という流れです。

さらに新約聖書との関連で言えば、燔祭は、イエス様の完全な自己献身、酬恩祭は聖餐式のイメージと重なります。

神様との契約

モーセは、イスラエルの民たちに、契約の書をとって、民に読み聞かせました、イスラエルの民たちは「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に従います」と答えました。

モーセは、捧げものの血を手にとって、イスラエルの民たちにふりかけ、神様の民となるための契約を神様と結ぶ事になりました。

ここで「ふりかけました」という描写、数十万人以上いるであろう全ての民にふりかける事は不可能ですね、具体的にはおそらく、木の枝や草の束を血に浸して、民の方向に向かって振り払う動作だったと思われます。

民全体に向かって行われた行為として、全員が契約の血で覆われたという宣言になっていたのだと思います。

この契約締結は、神様の側からは、

「わたしはあなたがたの神です、あなたがたを守り、導きます」という約束。

民の側からは「わたしたちは従います」という誓い、神様からの一方通行ではなく、双方の契約なのです。

神様の前で食事を許された日

出エジプト記24章10~11節

10. そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。
11. 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。

神様のお姿を詳しく描写することは、聖書の中では神学的な理由から避けられています。足元のみが描写され、それ以上は語られていません。ヘブライ的な敬虔さの表れとも言えます。

モーセは、アロンとその息子、七十人の長老達とシナイ山を登っていきました。どれくらい登ったでしょうか、きっと少し開けたところがあったのでしょう、そこに神様がいらっしゃいました。

当時の古代近東では神様を見た者は死んでしまうと信じられていましたが、彼らは神様を見ても死ぬことはありませんでした。そして、神様の前で飲み食いすることが赦されました。

神様は『登ってきなさい』と招かれ、彼らはそれに従いました。招きに応じた者に、神様は恵みを与えてくださいました。

出エジプト記24章12節

12. ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。

神様は、モーセに律法と戒めの石板を授けるので、山を登ってわたしのところへきなさい、と命じられました。

律法と戒めの石板が授けられるところは、出エジプト記の25章から31章に渡って詳細に記されています。

モーセは従者ヨシュアを連れてシナイ山を登っていきました。

シナイ山の頂には神様の栄光と、その周りを雲が覆っていました。

イスラエルの民からは、神様の栄光はまるで燃え盛る火のように見えていました。きっと、モーセを待つ間とてつもない不安に包まれていたことでしょう。

シナイ山の布陣

ここで、状況を整理してみましょう。

1. ふもと … 民衆

神様の戒めを受け入れ、「従います」と宣言した人々。
しかし彼らは、モーセが戻るまで待つ立場に置かれます。
信仰は「宣言」から「忍耐」へと移ります。

2. 山の途中 … 指導者たち

アロンとその息子たち、七十人の長老。
彼らは神を見、神の前で食事をしました。
特別な恵みを受けた人々です。
彼らはそこで礼拝する事を命じられました。
しかし、特別な経験をしたからといって、
その後も揺るがないとは限りません。

3. 山の頂 … モーセ

モーセは雲の中へと入ります。
神の臨在の只中に入る者です。
ヨシュアも共に登りますが、まだ「従者」です。
神の働きは段階的に人を育てていきます。

神様は一人ひとりを違う場所に置かれます。
しかし、どの場所にいても求められるのは「信頼」です。

神様からの試練

24章は、すべてが整ったように見える章です。

民は「従います」と言いました。指導者たちは神様を見ました。モーセは雲の中へ入りました。

しかしそのあと、沈黙が始まります。

1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1か月が過ぎても、モーセは戻りません。

この40日間の沈黙は、イスラエルの民にとって試練となりました。

「従います」と言ったその言葉は、この沈黙の中でも生き続けるのでしょうか。

神様はすべてをご存じの方です。

このあと起こる出来事も、すでにご存じでした。

神様のご計画とイスラエルの民への期待

伝道の書3章1節

1. 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。

この箇所は、神様の全てのご計画にはいつ実行され、成就するのか、その時が定められているという事を表しています。

そして、人は、神様のそのご計画を何一つ知る事はできません。

今回の流れも神様のご計画のひとつだったことでしょう。

イザヤ書45章15/18~19節

15. イスラエルの神、救い主よ、まことに、あなたは、ご自分を隠しておられる神である。
18. (前略)「わたしは主である、わたしのほかに神はない。
19. わたしは隠れたところ、地の暗いところで語らず、ヤコブの子孫に『わたしを尋ねるのはむだだ』と言わなかった。主なるわたしは正しい事を語り、まっすぐな事を告げる」。

イザヤ書では、神様を信じることができない人には神様は隠れておられるように見えると説明しています。
しかし「わたしを尋ねるのはむだだと言わなかった」とある通り、神様は民を見捨てることはありません。
イスラエルの民たちには神様のご計画を知ることはできませんが、神様は隠れておられません。
民たちは神様を信じ、その計画が成就するのを忍耐して待つことが求められていました。
彼らはいったいどうなるのか、また次回のメッセージでお話したいと思います。

神様はあなたの心の中にいます

今日のお話は旧約、紀元前のお話です。
新約以降、わたしたちが生きるこの時代にも、神様のご計画は生きておられます。
そして、神様はわたしたち一人一人の上にもご計画があります。

救いに至るご計画でしょうか。
試練に満ちたご計画でしょうか。
どのようなご計画なのか知ることはできませんが、ひとつだけわかっていることがあります。

伝道の書3章10~11節

10. わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。
11. 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

神様のご計画は、いつも最善です。わたしたちにできることは、神様をただ信じることです。

現代においては、神様はわたしたちの心に、聖霊なる神様を授けてくださいました。
これは、イエス様がわたしたちに代わって全ての罪を背負い十字架にかかり、罪の問題を解決してくださったからです。
そして復活されたことで死に勝利し、天におられる父なる神様のもとへ戻られたことで、聖霊様が送られるようになりました。

聖霊様はわたしたちの内に住んでくださり、神様への祈りを助けてくださいます。
だから、どんな不安も、そのまま神様に言っていいのです。

何か苦しい事はないでしょうか?

不安な事はないでしょうか?

何故自分は報われないのかと悩んでいることはないでしょうか?

神様は、あなたの心にも聖霊様を送って下さいました。聖霊様は助け主として仲介者イエス様を通して神様と繋がらせてくださいます。

神様は見えませんし、聞こえませんが、聖霊様が神様は間違いなくそこにいらっしゃるよと、そう感じさせて下さいます。

必ず神様が最後は最善を成して下さる事を信じる事ができますように、悩んでいるあなたの心が苦しみから解放されますように、お祈りしたいと思います。