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出エジプト記20章「新しくなりなさい」
あなたは殺してはならない
出エジプト記20章13節
13. あなたは殺してはならない。
この6つ目の戒めは十戒の後半、人と人の関わりについて定めたものの中でも最も基本的な戒めとなります。
「人を殺してはならない」という人間の道徳感は世界中にありますが、聖書の「殺してはならない」は、それとは全く違う土台の上に立っています。
今日はこの戒めの深い意味を、共に探っていきましょう。
ここでの『殺してはならない』(ラツァハ(רָצַח))は、“不法な殺害”のことを指します。文脈によっては過失のケースも含めて語られます。一方で、戦いや処刑は別の言い方がされることが多く、同じ『殺す』(ハーラグ(הָרַג))でも区別されて書かれています。
何故殺してはいけないのか
何故、殺してはいけないのでしょうか?
「そんなこと決まってるよ、人を殺したらかわいそうじゃないか!」
「それじゃ、かわいそうじゃなかったら殺してもいいの?」
「もうこの世界が辛くて苦しい、わたしの人生を終わらせてほしいと頼まれたらどうするの?」
「自殺も自分を殺してるからそれはいけないやつだよね」
人の感覚でこの話をすると色々な意見が出てきます、自分がされたら嫌だから、人の命は大切だから、道徳的に間違っているから。
このテーマには“生きるのが苦しいとき”の問題も含まれます。今日は結論を急がず、『命は神さまのもので、わたしたちは深く大切にされている』――この出発点を心に留めたいと思います。
人類最初の殺人事件
創世記4章8~12節
8. カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
9. 主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
10. 主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血が土の中からわたしに叫んでいます。
11. 今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
12. あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
人類最初の殺人事件は、カインとアベルの物語です。
カインとアベルは神様へ捧げものをしましたが、神様はアベルの捧げものは受け入れられ、カインのは退けられました。
その理由は聖書には明確に書かれていませんが、カインは激しく怒り、嫉妬に駆られてアベルを殺してしまいました。
アベルの血は流され、神様を呼び求めました。
土地は、もはやカインのために実りをもたらさない――神さまの前に罪が叫んでいることのしるしとして、地はカインに厳しくなったのです。
ここに重要な真理が示されています、人の血とは命そのものです。
そして殺された者の血は、土の中から神様に向かって叫び、神様はそれを聞かれ、必ず応答されるのです。
民数記35章33~34節
33. あなたがたはそのおる所の地を汚してはならない。流血は地を汚すからである。地の上に流された血は、それを流した者の血によらなければあがなうことができない。
34. あなたがたは、その住む所の地、すなわちわたしのおる地を汚してはならない。主なるわたしがイスラエルの人々のうちに住んでいるからである。
ここから、殺人による血は土地そのものを汚すことがわかります。
民数記はまずイスラエルの地を念頭に語ります。ただ、詩編24篇が『地は主のもの』と語るので、“命はどこでも主の前で尊い”――これは聖書全体からの結論として受け取れます。
それでは、汚してはならないのはカナンの土地だけでしょうか?
詩篇24篇1節
1. 地とそれに満ちるもの、世界と、そのなかに住む者とは主のものである。
詩篇では全世界は神様のものであると書かれています。
民数記よりも前、創世記でカインがアベルを殺した時、その土地はカインの罪によって呪われました。
つまり、どこの場所であっても人の血は流されてはいけないものなのです。
人は神様に似せて作られた
創世記9章4~6節
4. しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。
5. あなたがたの命の血を流すものには、わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも、わたしは人の命のために、報復するであろう。
6. 人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。
箱舟が洪水から解放され、ノアの家族が再び地上に降りたとき、神様はこれからは動物も食べても良いよ、しかし、血は命そのものだから食べてはいけない、と仰いました。
また、人の血を流させる者には誰であろうと神様が報復されると言われ、人の血を流すものは人に血を流される、つまり、人の手によって報復されると言われました。
ここで神様は、なぜ殺人がいけないのかの根本的な理由を明かされました。
「神が自分のかたちに人を造られたゆえに」。
人は神様のかたち、神様に似せて造られた存在です。
ですから、人を殺すことは単に「良くないこと」ではなく、神様のかたちを破壊する行為、神様ご自身への攻撃とも言える重大な罪なのです。
神様のかたちを傷つける
人を殺すことを禁じているのは「神様のかたち」を破壊するからでした。
それでは、手を出さずに、言葉で傷つけるだけなら良いのでしょうか?
マタイによる福音書5章21~22節
21. 昔の人々に『殺すな。殺す者は裁判を受けねばならない』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
22. しかし、わたしはあなたがたに言う。兄弟に対して怒る者は、だれでも裁判を受けねばならない。兄弟に向かって愚か者と言う者は、議会に引き渡されるであろう。また、ばか者と言う者は、地獄の火に投げ込まれるであろう。
ヤコブの手紙3章9~11節
9. わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。
10. 同じ口から、賛美と呪いとが出て来る。わたしの兄弟たちよ。このような事はあるべきではない。
11. 泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。
人を刺すような怒りや見下す言葉は、神さまの前では“殺す心”と同じ根っこをもつ――だからこそ放っておけない、とイエス様は教えられました。
イエス様の弟ヤコブも、神様を敬う一方で同じ口で人を呪っているのはよくない事であると指摘しています。
現代において、直接手を出さない代わりに心無い言葉を人にぶつける姿を大変よく見かけます。インターネットやSNSで情報の伝達が進歩し、わたしたちは気軽に沢山の人の意見を目にし、また逆に気軽に沢山の人に自分の言葉を伝える事ができるようになりました。
人と人とのつながりはとても難しいもので、どんなところでも派閥というものが存在し得ます。
派閥に属していなければ、人は驚くほど残酷になることができます。
現代日本においては表向き暴力は良くない事とされていますので、精神的ないじめが蔓延ります。
- 意図的に無視する
- 心無い言葉をぶつける
- 陰口をたたく
- 相手によって露骨に態度を変える
現代社会においてもこういった行動は「心の虐待」としても取り扱われます。
手を出さなければ大丈夫、わたしは悪くない。
はたして本当にそうでしょうか?
私たちは皆、心の殺人者
ここまで見てきて、私たちは気づかされます。
神様の基準の前では、私たちは誰一人として義人ではないということに。
怒ったことがない人がいるでしょうか?
誰かを軽蔑する言葉を使ったことがない人がいるでしょうか?
心の中で誰かを憎んだことがない人がいるでしょうか?
イエス様の基準では、私たちは皆「心の殺人者」なのです。
ある所では虐げられている人が、ある所にいくと虐げる立場の人になる。
これもよくあることかもしれません。
神様は十戒で端的に「あなたは殺してはならない」と戒められました。
しかし、その背景を聖書全体から読み解くとき、そこに神様がわたしたちにいかに配慮し、愛してくださっているのかを知る事ができます。
同時に、神様の基準の高さの前に、私たちの罪深さも見えてきます。
もちろん人間は不完全なものですから、簡単に意識を変えて明日からあの人への態度を改めようというのは難しいことです。
出エジプト記のイスラエルの民たちは約束の地へと導き出されましたが、エジプトから約束の地までは、寄り道せずに進めば“数週間〜数か月”の道のりです。しかし神さまは、民の心を整えるために長い荒野の旅路を許されました。
古い世代の人間はそこで寿命でいなくなり、やがて新しい世代の人間が残されました。
古い心、頑なな心のままでは、神様の約束の地に入れないのです。
新しい心を与えてくださる神
しかし、ここに良い知らせがあります。
神様は私たちの頑なな心を知っておられます。
そして、その心を変えるために、御子イエス・キリストを送ってくださいました。
コリント人への第2の手紙5章17節
17. だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
イエス・キリストが私たちの罪のために十字架で死んでくださいました。
私たちの心の殺人、憎しみ、怒り、軽蔑の言葉、すべてを背負って。
そして復活され、私たちに新しいいのちを与えてくださるのです。
ヨハネによる福音書3章3節
3. イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。
イエス様は言われました。「新しく生まれなければならない」と。
私たちは古い世代のまま終わってしまうのでしょうか。
それとも、新しい世代の人間となって神様の約束の土地へと迎えられるでしょうか。
キリストにあって、私たちは新しく生まれることができます。
古い自分が死に、キリストと共に新しいいのちに生きる者となるのです。
今日、私たちは「殺してはならない」という戒めの深さを見ました。
そして、自分の罪深さも見ました。
でも同時に、神様の愛と赦しの大きさも見ました。
もしあなたが、自分の心の中の憎しみ、怒り、軽蔑に気づいたなら、
それを神様の前に正直に告白しましょう。
「神様、私は心の中で人を殺してきました。
私の頑なな心を変えてください。
キリストにあって新しくしてください。」
神様は必ず、その祈りに答えてくださいます。
新しい心を与え、新しいいのちを与えてくださるのです。
神様にかたどって命を吹き込まれ、わたしたちは神様に愛されたものです。
その愛に応答し、新しく造り変えられた者として、神様の約束の地へと歩み出しましょう。
まとめ
- 『殺してはならない』は”不法な殺害”のこと。戦いや処刑などは別表現になるなど、聖書は状況に応じて使い分けて書かれています
- 怒りや見下す言葉は、神様の前では”殺す心”と同じ根っこをもつ、だから、心の中から新しくされる必要がある、というのがイエス様の教えです
- エジプトから約束の地までは本来”数週間~数か月”の距離であり、40年は道の問題ではなく、心の学びの時間でした
お祈りしましょう。