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ヨハネ18章「わたしがそれである」
今週の説教では、ヨハネ18章に記されたイエス・キリストの捕縛と裁判の場面から、特に「わたしがそれである」というイエスの宣言に焦点を当てます。
イエスが捕縛される場面で、兵士たちが「ナザレのイエスを」と言ったとき、イエスは「わたしがそれである」と答えられました。この言葉は単なる自己紹介ではなく、旧約聖書で神が自らを「わたしはある」と表現した言葉と同じ構造です。この宣言の力は、兵士たちが後ろに引き下がって地に倒れたという反応からも見ることができます。
この「わたしがそれである」という宣言には四つの重要な意味があります:
- 神性の宣言 – イエスは自らが神であることを示されました。これは単なる人間の言葉ではなく、神の力と権威を示す宣言でした。
- 愛と保護の約束 – イエスは「わたしを捜しているのなら、この人たち(弟子たち)を去らせてもらいたい」と言われ、捕らえられる状況でさえ弟子たちを守られました。これは主の愛と献身を表しています。
- 真理の王としての宣言 – ピラトとの対話でイエスは「わたしは王である」と言われました。しかしその王国は「この世のものではない」と説明し、「わたしは真理についてあかしをするために生れ、このためにこの世にきた」と語られました。
- 決断への招き – イエスの「わたしがそれである」という宣言は、私たち一人ひとりに決断を迫ります。ペテロのように時に弱さを見せながらも信じるのか、ピラトのように真理を前にしながらも決断を避けるのか、それとも宗教指導者たちのように拒絶するのか。
今日も「わたしがそれである」と宣言されるイエスは、私たちの前に立っておられます。十字架へと向かわれたイエスの愛と真理に心を開き、この方こそ真の王であり救い主であると信じる決断を新たにしましょう。
「だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」(ヨハネ18:37)という主の招きに、今日も応えていきましょう。
城尾 マコト