パウロの使徒権の主張の続きで、パウロは自分の見た幻のことを語りますが、それによって高慢にならないために肉体に一つのとげが与えられていることを語り、さらにキリストの力が現わされるために自分の弱さを誇るとまで云います。

それから、三度びコリントを訪問しようとしていることを延べ、このたびも前回同様、彼らに負担をかけないと語ります。このことを彼らに対する不正だと延べ、許しを乞いますが、同時にそれは、彼らの持ち物ではなく、彼ら自身を求めるからだと、深い愛を表現します。

彼らを訪ねるのは、彼らを築き上げるためであることを語り、再開するとき、彼らが期待通り、分派活動や不品行を完全に悔い改めているだろうかという懸念を漏らします。

パウロは、ここで大いなる幻と啓示、つまり地上を離れて人間の口にすることを許されぬ言を聞いたという体験を語ります。それは実にすばらしい体験でした。

しかし、パウロはそのことによって高ぶることのないように、肉体に一つのとげが与えられたと語ります。私たちは、人よりもすぐれたものを求めます。人よりもすぐれた知識を求め、より大きな体験を求めます。しかし、それは人高ぶらせる危険につきまとわれているのです。

しばしば大きな体験をしたことによってかえって霊的に高慢になり、他の人々を見下すようになって、祝福を失う人々に出会います。大きな祝福にあずかればあずかるほどへりくだることが必要です。

パウロは高慢に陥ることのないように肉体のとげが与えられました。それが何であったかについてはよくわかりませんが、大きな苦痛でした。人前に恥ずかしいようなものか、あるいは自分の弱さをひしひしと感じさせるようなものだったのではないかと思われます。

パウロはそれを取り除いてくれるように主に三度祈りました。しかし主はパウロに「わたしの恵みはあなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と答えられました。

そのとき、パウロは「私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」と語りました。自分の名誉でなく主の栄光を求めていたからです。私たちも、主の栄光のためには自分の弱さをも喜ぶことができるでしょうか。